2012年10月26日

そこにいなくても。

どこにもコミュニティがあって、人は何らかのコミュニティにいる。
ほんとうにそこにあるものでもあるし、実際には無いようなものでもあるし。

和音の定義が二つ以上の音であるように、コミュニティも二人以上から作られる。
カップルであってもそうだろうし、友達、兄弟、先輩後輩…

そこに依存したり頼る事で、居場所の確認や安心を求める。
誰でもいいわけじゃなく、特定の誰かが必要で。

でも自分という個体が時々わからなくなる。
コミュニティに作られた偶像をいつのまにか演じてしまっていたり、コミュニティに浸かる為に作った偶像だったり。
本来の自分との差は、ほんの少しの誤差かも知れないけれど、その誤差は日に日に大きくなっていく。
言いたいのは、それが良いとか悪いとかではなくて、ずれた時計の針を直す作業は必ず必要だよね、ということ。

例えばたまには一人で過ごす時間だったり、寝てばかりの一日だったり。
人それぞれリセットの仕方はあるだろうけど。

良いとか悪いとか、
好きとか嫌いとか、
そんなふうに必ずしも白か黒かで考えられる事ではなく、
何かが壊れてしまう前に、きちんと正確な時を刻めるように、リセットって大事だよ、という話。

だから、コミュニティに顔を出さないからと言って、別段どうということはないんだよ。
自分にとって都合の良い場所、心地よい場所には変わりないんだから。

地に足つけて、きちんと立つためなんだよね。
posted by syozopanda at 01:06| Nikki | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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